相談女と副腎摘出手術入院2日目
手術当日の朝はほとんど眠れずに迎えました。
前日に渡された手術着と肺血栓塞栓症予防のハイソックスに着替えました。
朝一9時からの手術予定で30分前に家族が病室に揃いました。
前日、看護師さんから手術後は集中治療室に入る可能性も少なからずあるからと、準備の為の用紙を渡されていました。
侵襲(生体を傷つけること)の大きな手術をした患者と、
入院中に病状が重症化した患者が入る病棟です。
いわゆるテレビでみるような緊迫した病棟です。
カーテンのみで仕切られ、常に医師や看護師が待機して、
アラーム音が鳴り響き、救急医療も施される場所であると断りがありました。
正直なところ生死の境を音や気配で感じてしまうと、
余計に怖くなってトラウマになりそうだと思いました。
5分前になると看護師さんが迎えに来て歩いて手術室へ行きました。
家族とは手術室前でお別れです。
中に入ると名前を呼ばれて、手術室の看護師さんに再度、名前や手術部位の確認をされました。
前日に手術の説明に来てくれた看護師さんが声をかけてくれて、
心細かった私は思わず泣いてしまいました。
家族の支えがない私にとてもありがたかったです。
旦那は終わっているので励ましも慰めの言葉も態度もありません。
手術台に上がるとすぐ、左手の甲から点滴が始まりました。
今回は硬膜外麻酔といって背中から痛み止めの薬を入れました。
最初の麻酔の針が痛いと思ってるうちに皮膚の感覚はなくなり、あっという間に細い管が背中に這わされました。
この硬膜外麻酔はこれから3日間ほど、付けっ放しになります。
仰向けに体勢が戻ると酸素マスクが取り付けられ、
全身麻酔が手の点滴から入りますと声をかけられました。
それから何回か呼吸してるうちに記憶が途切れました。
手術時間は予定通りの2時間半ほどで、
出血量も5mlと調味料並みに少なく済んだそうです。
手術後に本人に説明があると聞かされてたのですが、
何故かわたしにはなかったので家族向けの説明によるとの内容です。
おそらく手術が順調にいったので割愛されたのかもしれません。
手術は撮影されてたようで指導用の映像として使用していいか、翌日辺りに署名をお願いされました。
映っているのは私のお腹の中だけらしいので、
どこかでお役に立てるならと署名をしました。
目覚めた時からはうろ覚えですが呼吸を意識するように何度か言われ、
ストレッチャーで天井がぐるぐる回るようなまま、自分の個室に戻りました。
集中治療室には満員で入れなかったと聞きましたが、かえってその方が私はよかったです。
全身麻酔の副作用で吐き気が酷く、とても寒気がしました。
麻酔が効いてるとはいっても、やはり痛いです。
吐き気どめの薬を点滴で入れてもらいましたが、途端に手が痺れてしまいました。
その後、結局2回吐いてしまいました。
寒気は吐き気と高熱がくるものだったようです。
おそらく39度近くか超えてたようで、看護師さんも伝えると不安がるとの配慮からか、
口にすることはなく翌日になってから高熱があったことを知りました。
怪我や手術後に高熱が出ることはよくある反応だそうです。
硬膜外麻酔のおかげで傷口の強烈な痛みはなかったのですが、
肩と胃が発作的にとても痛くて、痛み止めの薬を処方してもらいました。
手術の際に炭酸ガスを使用する副作用で、肩や胃が痛くなるそうです。
高熱と吐き気、身体の痛み、思い出されるのはそのしんどさです。
その日の夜もほとんど眠れませんでした。
ベッドで安静のため、身体を動かすこともほぼ出来ず、
膝を立てることすら、つらい時間もありました。
腰とお尻が痛く、身体中のありとあらゆる痛みを強く感じました。
寝返りもままならないので、痛みに耐えて早く朝になるよう、時間が過ぎることを目をつぶっていました。
手術自体は麻酔をしてわからないのですが、術後は痛みの苦しみの連続でした。
私がこんな苦しまなければならなくなったのは、
旦那と相談女由KRが私的メールをしたからです。
私が弱いからだとたかがメールぐらいでと馬鹿にしますか?
されどメールで傷つく私のような人間もいることを知ってください。
悪意のある相談女由KRという輩によって、私の心も身体も切り刻まれました。
私の家族も涙を流しました。
その責任を取らず、しらばっくれて雲隠れ、逃げている輩を捕まえてください。
そして仕留めてください。
神も仏も悪魔もいない世の中だから、
弱いものが優しいものが傷ついて見過ごされるから、
本当に残酷な世の中で生きるのは辛いです。