ー旦那が相談女に狙われた妻ブログー

旦那と相談女に謝罪と反省と償いをさせる遺書

相談女とフラッシュバックの現実

少しだけ嬉しいことが、ほんの少しの幸せがありました。

散歩中のワンちゃんが信号待ちの間に足元に寄ってきてくれて、ちょこんと座って尻尾を振ってくれました。

触らせてもらったのですが、愛犬を喪って以来は機会がなかったので、とても嬉しく幸せな気持ちになりました。

愛犬が導いて慰めてくれたのかなと思いました。

でもそんな小さな幸福感ですら、悲しい現実に気付かされるのが悲しいです。

もう愛犬の命は存在してないということ。

悲しみと苦しみで傷つきボロボロなのに、また傷つくのは辛すぎます。

たとえ嬉しいことがあっても思い出されるのは旦那と相談女由KRの記憶。

フラッシュバックは時間がどんなに経とうと消えないのです。

私のこの嬉しさは幻で消えないでほしいけど、十分に痛いほどに知ってる裏切りと人の身勝手さ。

旦那と相談女由KRのした行為は自己中心的で人を傷つけ、周りに迷惑をかけただけです。

相談女と逮捕

今日、旦那の前職の社員が逮捕されたそうです。

相談女由KRが今も在職してるかはわかりませんが、相談女由KR以外にも会社から犯罪者が出たようです。

刑事事件なら逮捕されるけど、相談女由KRは逮捕されないから許せません。

以前も準強制性交容疑で親会社から出向中の社員が逮捕されてるし、

ニュースになる事件が続くのは個人の問題で社風だからではないでしょうが、

相談女由KRが野放しだったことを思うと、環境的に納得してしまう部分があります。

会社名は伏せて会社員で放送されてもよいところを社名がバッチリ放送されてるのは、

信用信頼がモットーにしないといけない業種なだけに、

相当マズイことが印象づけられてると思います。

わざわざ社名を報道するのは若干、不思議な気もするのですが、

相談女由KRがいた会社だということも一緒に認知してほしいです。

もちろん刑事事件は犯罪ですが、浮気不倫も同罪です。

未遂の段階だったとはいえ、私は実害が出てる被害者です。

相談女由KRも罰してほしいです。

私は自分や家族の幸せを願うより、相談女由KRに鉄槌が下されることを、私の命に代えて願っています。

相談女とチョコレート嚢胞手術入院5日目

ずいぶんと間があいてしまいましたが、入院5日目に退院となりました。

朝の検温や血圧測定をしたら朝食を食べたら、後は退院の準備をして待つのみでした。

9時頃に薬剤師さんが退院後の薬を持ってきてくれたのですが、

痛み止めの薬を飲み続けたことによる胃痛があったので追加してもらったら、

先生への確認があるのでそこから少し待たされて、

10時前に退院となりました。

退院後は下腹部の痛みがぶり返して診察に行ったりしてました。

ようやく私の症状も落ち着いてきた頃に介護が必要な母が脱水症状と思われる体調不良に見舞われ、

介護認定の判定が現状と見合わないもので、

区分変更の手続きで役所やケアマネさんと連絡や事務手続きと慌しくしてました。

そして、本当に私は絶望の中の絶望でいっぱいになる出来事もありました。

詳しく書くつもりもというか、その気力体力もありません。

世の中は相談女由KRのような輩の方が幸せになれるのでしょう。

そんな世の中に私は耐えられません。

相談女由KRを許せません。

世の中に優しい人がいるなら、私に力を貸して欲しいと願ってました。

でも、そんな人は居ません。

苦しむ人がそばにいても誰も何もしてくれません。

せいぜいコメンテーターのように語るだけで、汗を流したり、手を汚したりすることはしません。

パフォーマンスに涙を流して終わりですか。

世の中そんなものです。

私がこの世にいても娘は困って悲しむことは間違いないですが、

私が思ってたよりも大丈夫そうなので安心というか気が抜けました。

だから苦痛なく命が尽きるなら、今すぐにでもそうしたいです。

死ぬ最期だけは痛いのも辛いのもしんどいのはもう嫌です。

私が絶望したのは旦那と相談女由KRが私的メールをしたことが全ての原因です。

私が死ぬのは旦那と相談女由KRが私的メールをしたことが全ての原因です。

私を殺したのは旦那と相談女由KRが私的メールをしたことが全ての原因です。

これは事実です。

相談女とチョコレート嚢胞手術入院4日目

手術から3日が経ち朝一で外来で診察を受けることになりました。

内診と超音波検査で問題なく、予定していた翌日の退院が決まりました。

お腹に溜まった血液を排出するドレーンも抜いてもらい、

点滴もようやく外れることが出来ました。

これで身体につながれたものはなくなり、ようやく身軽になりました。

部屋に戻ると看護士さんからシャワーの許可が下りてるから、

シャワー室の場所と使い方を案内しますと連れていってくれました。

入院する日に家でシャワーを浴びてきたものの、3日ぶりのシャワーは嬉しいものでした。

もう午前中の予約はいっぱいだったので、午後の夕方前で予約をしました。

久しぶりのシャワーは立ちながらだったので、ふらつきはなかったものの、

正直ちょっと立ちっぱなしは疲れました。

でもようやく髪を洗えて身体を洗うことが出来て、さっぱりして気持ちよかったです。

翌日はもう退院なのでひたすらテレビを見て時間をやり過ごすといった感じでした。

母は私の手術入院期間前から、退院後も約10日ほどショートステイに入所してもらいましたが、

入所してる利用者の中に認知症の方や問題行動をする方が同じフロアだったようで、

なかなか夜眠れなかったり頭を悩まされることがあったようです。

私が入院中だったこともありましたが、施設の方に相談をすることを薦めたり、

私から一報入れることを提案しましたご母は頑なに拒否しましたので止めました。

いくら介護士さんご優しいからといっても、栄養士さんが希望の献立を出してくれるとしても、

困ったことが解決するわけではないのに、相変わらずに人の忠告を聞かない母に辟易しました。

だからこそ大怪我をしたというのに人は変わらない、懲りないから厄介極まりないないです。

自分だけならまだしも結局、人を巻き込む、迷惑をかけることを自覚して自重してもらいたいです。

それはさておき痛み止めの薬でしのいでいました。




相談女とチョコレート嚢胞手術入院3日目

朝方にはもう腰が限界をむかえて、身体的だけでなく、

もう精神的に限界、息切れや冷や汗が出るパニック発作状態でした。

姿勢と腰が痛くて精神的にも限界なことを看護士さんに伝えると、自然と涙が出てしまい、

看護士さんは優しく慰め励ましてくれました。

その看護士さんはたぶん新人さんのようで、私の状態

を見て何とかしてあげようと、

どうやら先輩看護士さんと相談してくれたみたいです。

朝の6時には水分摂取が可能になるので、

その時にベッドの上体を30度位なら起こしてもよいと許可をもらってくれました。

急に体を起こすと肺血栓塞栓症の症状が出ることがある為に、

徐々に慣らしていかないといけないそうです。

時間より少し早く先輩看護士さんと一緒に来てくれて、

ベッドを起こしてくれました。

ただそれだけと思うかもしれません、ずっと同じ姿勢で腰に負担がかかっていたので、

座る姿勢で体重がお尻に移動したことで腰の痛みは軽減されました。

看護士さんが頭ごなしに否定せず、話を気持ちを聞いて受け止めてくれたこと、

なんとか方法や対策を考えて動いてくれたこと、心からありがたいと感謝しています。

旦那と相談女由KRが私的メールをしたことで悲しみ苦しみ傷ついて、

辛くてもしんどくても私は誰にも助けてもらえずに一人だったから、

看護士として仕事上とはいえ心に寄り添った対応が身に染みました。

35時間ぶりに口にした水は水だという感覚でした。

特別美味しくも不味くもなく、久しぶりに喉を通るものでした。

手術翌日から歩く予定ではありましたが、早めに取り掛かりましょうと、

日勤の看護士さんに引き継ぎをしてくれました。

おかげで10時ちょっと前には体を完全に起こすことが出来ました。

フットポンプやつけていた機械も外されて、身が軽くなりました。

まずは上体を起こしてゆっくり手すりにつかまりながら、

立ち上がって目眩や気持ちわるさがないか確認してから、

部屋の中で歩行の確認をしました。

自分でも思ったより歩けるという感覚でした。

おそらく腰の痛みやしんどさが勝っていたので、歩くことによる痛みは二の次になってたのだと思います。

歩行がスムーズに出来たので、尿道カテーテルも外してもらい、

身体をタオルで拭いて着替えも出来ました。

お腹に溜まった血液を排出するドレーン袋と点滴だけはまだつながれたままでしたが、

フットポンプは朝の親指の爪のとろにあたって痛くなってたし、

弾圧ストッキングも早く脱ぎたかったので解放感がありました。

今は両足の親指の爪が紫色になっています。

まだ食事は十分に摂れないので水分補給の点滴と抗生剤の点滴は続きましたが、

点滴の棒が杖代わりになってくれました。

尿道カテーテルを抜いたのでトイレに行くのですが、

お腹が痛い中でトイレはなかなかハードでした。

しかも点滴してるので頻尿で15〜30分に1回位でトイレに行ってました。

夕方頃にはトイレのリズムも落ち着きましたが、それまではベッドに戻ってはすぐトイレの繰り返しでした。

昼食が手術後初めての食事でしたが、内容としてはほぼ水分のなかで、

プリンがとても甘くて美味しいと感じました。



相談女とチョコレート嚢胞手術入院2日目

入院翌日が手術日です。

前日の夕方に手術予定の時間が知らされ、13:30頃の予定となりました。

絶飲食が続いているので朝食はもちろん水分も摂取出来ないので、

ベッドの上でテレビを見るばかりで、時間が過ぎるのを待ってました。

前日に飲んだ下剤が夜中から効いてきて、すでにお腹の中はゼリーしかないはずのものが、

全部排出されたような感じでした。

お昼頃に手術着に着替えて準備をし始めました。

しかし時間になっても音沙汰なしでした。

看護士さんから時間がはっきりわかったら、

呼びに来ますと言われてひたすら待つのみでした。

結局、手術は15:05に手術室に到着と決まり、予定から1時間半遅れとなりました。

手術の付き添いは家族が1名だけ病院内で待つことが出来るのですが、

その間は娘一人で家に留守番になってしまうので、手術後に家族に電話で報告する対応を選びました。

病院内にいてもただ待つだけですし、手術の時間はあっても予定通りではないので、

何時間も娘だけを家に残すのは賢明ではないと思いました。

母は介護が必要なので入院の前からショートステイに入所してもらいました。

病室からは歩いて看護士さんと二人で手術室に向かいました。

手術室に入ってからは手術台の上で姿勢を固定され、タオルをかけられた上で手術着を脱ぎます。

色々と機械を装着され、酸素マスクとともに全身麻酔が点滴から注入されます。

今回も娘を守ってほしいこと、旦那と相談女由KRが死ぬことを願いながら、

麻酔で眠りにつきました。

麻酔から目覚めた時はもう手術が終わっています。

だから手術のことは全く覚えていません。

声をかけられて目を覚ましたのだと思いますが、

頭がボーッとしたままの状態でしたが、呼吸や意識などを確認された後で、

ストレッチャーで病室に戻りました。

毎回思うのですがストレッチャーって意外と小回りがきいて、

全身麻酔の後はいつも吐き気に襲われる私にとってはさらに気持ち悪くなる動きになります。

私は全身麻酔の後は必ず吐くので今回もそれを伝えて吐き気止めを使用してもらいましたが、

嘔吐くのは嘔吐いてもお腹の中は空っぽなので吐くものが出ませんでした。

何時間からすると薬が効いて吐き気も治まりましたが、それまでは定期的に吐き気に襲われてました。

だんだんと傷の痛みも感じてきて、痛みと吐き気と同時がしんどかったです。

まだ酸素マスクもつけたまま、心電図?心拍数?を測機械、

血栓塞栓症を防ぐためのフットポンプ、お腹に溜まった血を排出するドレーン袋、

尿道カテーテルとと体に色んなものが装着され、

ほんとに不自由と拘束された姿でした。

そんな状態では眠るに寝れず、火照りと寒気を繰り返してたので、

アイスノンをもらったところ1時間だけ眠ることが出来ました。

でもそれ以後は全く眠れず、朝を迎えることになるよですが、

ほぼずっと同じ仰向けの姿勢でいたので腰がとても痛くなってしまいました。

夜中に何度かは少し横向きに体勢を変えてもらい、枕などを体の下に置いてもらいましたが、

自分で体勢を変えることが難しかったので結局仰向けの時間が長かったのです。

眠れたらまだよかったのでしょうが、眠れないから余計に痛みを感じたのかもしれません。

前回も前々回も腹腔鏡手術で乗り越えた試練の時間でしたが、

今回は精神的に一番きつく感じられました。

相談女とチョコレート嚢胞手術入院1日目

退院から二週間が経ち、痛みもだいぶ治まってきました。

またまだ日常生活を取り戻すまでには至らず、徐々にといったところです。

自分で思っていたよりもだいぶ疲れやすく、身体的ダメージは大きいのだと実感しています。

腹腔鏡手術は今回で3回目になるので流れは把握してるつもりですが、

やはり年齢と部位と痛みは毎回異なりました。

手術の傷の痛み自体は今回が一番軽いです。

傷がかなり小さく箇所が少ないこと、技術と医師の腕の進歩なのかもしれません。

ただお腹の中の痛みは特にへそ周りが今回は痛くて、予定になかった受診をしました。

お腹の中で水と血が溜まってる可能性があり、抗生剤と痛み止めを追加で処方してもらいました。

その後は回復傾向にありますが、痛み止めが切れるとやはり痛みを感じます。

私の手術入院の経験が役に立つならば、そしてなぜ私が病に冒されたのか、

一人でも伝わればと思い記します。

何度も同じことの繰り返しになりますが、旦那と相談女由KRが業務に関係ない、

私的メールを楽しみ関係を深めようとしたことで、

私たち家族は悲しみと苦しみを負い傷つきました。

私はその傷が病という形で身体的、精神的に表れているのです。


さて、ここからは入院一日目の話になりますが、その前に病名と手術入院する経緯についてまとめます。

私の病名はチョコレート嚢胞である子宮内膜症です。

きっかけは昨年11月か12月の生理が終わっても、

いわゆる生理痛、鈍痛が続いた為に婦人科クリニックに行きました。

近年、生理が来る度に生理痛が重く、鎮痛剤を飲むことが常態化してました。

子宮腺筋症の診断も受けていたので、定期的に婦人科クリニックに足は運んでいました。

ほぼ毎年、子宮がん検診を同じクリニックでしているので、

前回である2021年7月頃の検診では見られなかった、

卵巣の腫れがあるという診断でした。

内診と超音波検査をしたところ、大きさも5cm前後あるということでMRI検査、

手術の出来る病院を紹介してもらいました。

総合病院の婦人科を受診し、その日のうちにMRI検査もしてもらいました。

結果から言うとチョコレート嚢胞で子宮との癒着がかなり酷い状態で、

大きさも6cmほどあるので手術は即決定となりました。

ただコロナ禍ということもあり、近々での日程では手術の予約が取れないことから、今回の日程となりました。

私は16年前にも卵巣腫瘍である皮様嚢腫で右側卵巣の一部を切除手術をしたことがあります。

その時は妊娠出産前だったので卵巣を残して病巣のみ切除する手術となりましたが、

今回は年齢的に再発の可能性と癌化する可能性がある為に左側の卵巣と卵管を切除することになりました。

入院は午後からの入院で前週に部屋の案内と時間の連絡が病院からありました。

まずは部屋に案内されてからはコロナ感染の抗原検査が行われ、

結果が出るまでは部屋から出ることは禁止されました。

その後は液体状の下剤を飲み、点滴の針を刺して血管確保です。

点滴自体は夜から始まりました。

夕飯は高栄養のゼリーと経口補水液のゼリー飲料でした。

ゼリーゼリーで微妙でしたが、OS-1のゼリー飲料は初めてでしたが美味しかったです。

高栄養ゼリーもコーヒー?カフェオレ味で思ったより美味しかったです。

すでに入院日から癒着対策として、朝からゼリー飲料と水分しかお腹に入れてなかったので、

この日はとてもお腹が空きました。

そしてさらに錠剤の下剤を飲み手術に備えます。

夜9時からは絶飲食で水分も摂取禁止です。

個室フロアにしたのですが、ドアを閉めていても結構な音と声が聞こえて、

落ち着ける雰囲気ではありませんでしたが、思ったよりは寝ることが出来ました。