ー旦那が相談女に狙われた妻ブログー

旦那と相談女に謝罪と反省と償いをさせる遺書

相談女と幻

愛犬にそっくりな犬を見かけました。

私は毎朝、娘の見送りに通学路に立っているのですが、

犬種は違えど毛色が顔が愛犬にそっくりでした。

元気な頃の若い頃の愛犬が目の前にいるようでした。

今までも同じ時間に立っていて初めて見たのでたまたまなのか、

引っ越しされてきたばかりなのかもしれません。

なんだか嬉しい気持ちと寂しい悲しい気持ちが一度に押し寄せました。

また見かけることが出来たらいいと思います。

 

愛犬が亡くなる前の数か月、私が散歩に連れて行くことは数回でした。

普段は母に任せているので、私が行くことは少なかったです。

なぜもっと愛犬との時間を過ごさなかったのか、とても悔やまれます。

もっと散歩や遊んであげたかった、もっと旅行に行きたかった、

もっと抱きしめてあげたかった、もっと一緒にいたかった。

 

旦那と相談女の身勝手な行為のせいで私は苦しみ、悲しみ、傷つけられ、

頭がおかしくなり、心を病んでしまいました。

特に9月、10月は旦那が夜に家を飛び出したり、パソコンを隠したり、

精神不安定で自分でも異常な状態だと感じていました。

なぜなら愛犬の誕生日を忘れてしまうぐらいでした。

お祝いの犬用手作りケーキやプレゼントも用意出来ずに、

きちんと祝ってあげられなかった。

愛犬に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

旦那と相談女のことで愛犬のことがおろそかになってしまったこと、

旦那と相談女のことで正常な思考と判断が出来なかったこと、

旦那と相談女のせいで愛犬を死に追いやってしまったこと、

旦那と相談女のせいでさらに深い悲しみ、取り返しのつかない後悔を負ったこと。

旦那と相談女はどこまで私たち家族を悲しませ、傷つけたら気が済むのでしょう。

 

私が鬼になり、悪魔になれば、旦那と相談女に罰を与えられるでしょうか。

愛犬は私がそうなることを願わないでしょう。

愛犬は優しく強く、お利口で頑張り屋さんでした。

旦那に家族じゃない、期待するなと言われて邪険に思われても、

旦那を家族と思って接していた愛犬の気持ちが報われなかった。

 

優しいものが真面目なものが傷ついたり、損をしたり、苦しむ世の中。

愚かで心無いもの、卑劣なものがはこびる世の中。

地獄があるなら墜ちればいい、願わずとも墜ちていくのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

相談女と死

今週、火曜はまた飯田橋に旦那は忘年会に行きました。

ワインとチーズがおいしい店らしいです。

もう忘年会の予定はないそうですが、お客さんのお偉いさんから、

声がかかったら考えるとのことなので、声をかけないであげてください。

よろしくお願いします。

 

愛犬の死からあと4日で1ヶ月が経ちます。

愛犬が居ないことは現実でわかっているのですが、

心がまだ受け入れられずにいます。

なぜ愛犬が死ななくてはいけなかったのか。

助けられる方法、治療、処置はなかったのか。

あの日あの時に戻れたら、愛犬は生きられたのではないか。

自分の判断、決断、意識が間違っていた、狂っていたと思います。

だから愛犬を死なせてしまった。

 

私がおかしくなった原因は正常な思考ができなくなった原因は、

紛れもなく旦那と相談女が私的メールをしたこと。

そして旦那も相談女も謝罪と反省と償いをしないこと。

この二人にどんな因果応報が待っているのでしょうね。

人を傷つけ悲しませ、苦しませたなら、同等以上になるでしょうね。

 

私は京都の安井金比羅宮に行きたいです。 

良縁、悪縁祈願で有名な京都の神社です。

ご利益は本当にあるのかわかりませんし、神頼みしか手がないなんて、

なんとも寂しいですが、やってみる価値はあるかもしれません。

そんな気力もパワーがないので当分は無理そうです。

 

娘と母に愛犬のフォトグッズをクリスマスプレゼントに用意しました。

母は愛犬が亡くなってから、すっかり憔悴してしまい、

精神的に限界な状態で家から出られないほどです。

当然です、愛してる家族を失ったのです。

私だって悲しいですが、私が倒れたら、私が動かないと、滞ってしまいます。

私も精神的に不安定ですが、奮い立たせてなんとかやっています。

 

愛犬を家族じゃないと言った旦那は酷くて哀れです。

そんな旦那の姿を娘は見て聞いて肌で感じているでしょう。

 

相談女は直接、愛犬の死に関わったわけではありませんが、

私を傷つけたという意味で一番の加害者です。

私が私でなくなった原因は相談女が仕掛けてきた行為です。

相談女も酷くて哀れです。

それは人を傷つけても自分さえよければ構わないという、

旦那も相談女もどうしようもない人間です。

自覚と罪悪感がないので困ったものですが、

いつか自分に返ってくる日を私は心待ちにしています。 

それがあなた達の自業自得です。

 

相談女と家族

夜中の3時過ぎ、4時前ぐらいに必ず一度は目が覚めます。

ちょうどその時間に愛犬が息を引き取りました。

愛犬が呼んでるのかな、苦しかったよねと私は起きます。

愛犬の死に涙する毎日が続いてます。

 

そんな中で旦那は先週の飲み会に行きました。

どれだけ私が四十九日まで喪に服し、飲酒は控えてもらいたいと伝えてもです。

また明日も飲み会です。また飯田橋だそうです。

 

娘が学校から手紙を持ち帰りました。

学校の空き時間に書いてくれたそうです。

娘の気持ちが嬉しくて思わず泣いてしまいました。

つられてというか普段、我慢してるのでしょう、娘も一緒に泣きました。

私たちが泣くと娘も泣いてしまうので、娘の前では泣かないと思っていても、

愛犬と娘を思って涙がこぼれてしまいました。

 

愛犬は娘に愛されてました。娘は愛犬に愛されてました。

私たち家族は愛犬を愛してました。

その気持ちがわからないという人間がいます。

 

旦那と相談女は人の気持ちがわからない人間です。

自分さえよければ人が傷つこうが悲しもうが苦しもうが関係ないのです。

だから謝罪も反省も償いもしないのです。

娘はきちんと心が育っています。

相手の気持ちを思いやる心を娘は持っています。

それに比べて恥ずかしい大人がいるのです。

 

旦那と相談女にも家族がいるでしょう。

きっと自分自身に返ってくるでしょう。

世の中に酷い人間がたくさんいると思いたくありませんが、

身近にいることはとても不幸なことです。

 

旦那か相談女が私を苦しめようとしたせいで愛犬が死んだのなら、

私は旦那と相談女を苦しめます。

旦那と相談女の大切なものが奪われないとお互い様になりません。

 

 

 

相談女と因果応報

今朝、旦那に今日の飲み会のことを聞きました。

行くとも行かないともはっきり言われてないので確認です。

 

私「飲み会行くの?」

旦那「うん(無言で頷く)」

私「何か言うことない?」

旦那「何を?」

私「こちらの気持ちに対して?」

旦那「ない。謝れっていうの?土下座しろと?」

私「じゃあ、すれば?」

旦那「しない」

私「自分に返ってくるからな」

旦那「ああ、楽しみにしてるよ」

以上、終了。

 

四十九日までは喪に服してもらうのが、

せめてもの死者への弔いであるので、

こちらの気持ちとして禁酒をお願いしてるのに、

家族の死に悲しんでる時に宴会、乾杯、飲酒は控えてもらいたいと、

何度も伝えていますが聞く耳を持ちません。

 

『気持ちに添えなくて悪いが立場上、参加しないといけない』と、

一言、断る言葉を言えない人間性がもう笑っちゃいます。

呆れるほど乏しい。

 

自分に返る。そう、因果応報です。

 

因果応報(いんがおうほう)

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

引用元:因果応報の意味 - 四字熟語一覧 - goo辞書 

 

神仏も悪魔もいなくても旦那と相談女に因果応報が起きるまで、

私の魂のある限り念じ続けます。

 

飯田橋のもつ鍋が食べられる店に行くようですから、

お暇な方と力のある方はどんな顔して飲んでるか、

冷やかしと説教に行ってあげてください。

よろしくお願いします。

 

相談女と日常

愛犬が亡くなってから、愛犬がいない毎日が過ぎています。

愛犬がいないことが日常になっていくのが辛いです。

なぜ愛犬が死ななければいけなかったんだろう。

なぜ愛犬を死なせてしまったのだろう。

なぜ愛犬を助けられなかったのだろう。

なぜ愛犬を守れなかったのだろう。

ただただ生きてそばにいてほしかった、そばにいたかった。

 

四十九日まで飲酒を控えてもらいたいと旦那に言いましたが、

明日は飯田橋のもつ鍋が食べられる店に飲み会に行くようです。

 

行くとも行かないともはっきり言わず、

場所も時間も催促してやっと連絡してきました。

 

どうしても飲み会に行く理由はなんですか?

あるならきちんと言うべきだと思います。

 

家族の死の悲しみのなかで宴会は乾杯は勘弁してほしいです。

家族を喪ったのに酒を飲み、笑い、楽しむのはやめてほしいです。

自分が同じ立場になれば、少しはわかるのでしょうか。

旦那の家族が死んだら、同じ気持ちになるのでしょうか。

その時に嫌というほど思い知るがいいでしょう。

なんて哀れで心がないんだろう。

家族が家族じゃないのは残酷です。

 

旦那に飲み会に行っても酒を飲まない、乾杯しない、笑わない、

楽しまない、そう言いましたが約束は守らないでしょう。

そもそも旦那はそんな約束してない、私が勝手に言ってるだけと思ってるでしょう。

私の知らない見えないところで何してるかわかりません。

私に隠れて嘘ついて旦那は相談女と私的メールした前科があります。

私に嘘ついてパソコン隠してた前科があります。

だから信用できないです。

他にもたぶん、あるのでしょう。

 

涙してるなかで宴なんて冗談じゃない。

家族ではない、期待するなと言われた愛犬が報われない。

愛犬は旦那を家族として受け入れたのに恥ずかしくないんだろうか。

旦那は愛犬に向けた自分の言葉に責任も罪悪感も後悔も感じないのでしょう。

 

そんな人間はきっと不幸がふりかかるでしょう。

旦那と相談女がそうであるように、私は必ずやと思っています。

 

誰かを傷つけたら今度は自分が傷つく番なのは当然でしょう。

でも絶対に家族を巻き込まないでもらいたい。

 

相談女と費用

愛犬が亡くなった動物医療センターから請求書が届きました。

実費(保険外)なので人間より高いことはもちろんですが、

最期に受けた治療の静脈点滴は意外に費用が低価格で、

最初から医療センターで静脈点滴をしてもらっていれば、

命が助かったかもしれない、愛犬は生きていたかもしれない。

 

命に値段はありませんが、かかりつけの動物病院で受けた皮下点滴は、

医療センターの静脈点滴よりも高額でした。

愛犬の命を救うための治療だったはずなのに効果がないものでした。

もしかしたらその治療が愛犬の命を奪ってしまったかもしれない。

なんだかやるせない気持ちになりました。

 

どうして具合が悪くなった時、動物医療センターに連れていかなかったのか。

どうしても車が必要になるから、

旦那に頼らない方法と頭が働いてしまったと思います。

かかりつけの動物病院と医師を信じ、

愛犬が苦しんでいるのに助けられなかったのか。

あの日、あの時に賢明な判断をすべきだった瞬間が幾つもあります。

私は信じて疑わず旦那に裏切られたのに、

医師を信じて疑わずに裏切られた思いです。

 

私が私さえ正常な思考と健康な肉体であれば、

愛犬を喪うことはなかったかもしれません。

私を悲しませ、苦しませ、傷つけて心身ともに私を追い詰めた、

旦那と相談女は人間の屑でしょう。

旦那と相談女は痛くも痒くもないのだから、

何を訴えようと本人達は関係ないと思います。

謝罪と反省と償いをしないのだから、

せいぜい嘲笑されたらいいでしょう。

神仏も悪魔もいないのだから、誰も何も旦那と相談女を罰しない。

私一人じゃ力がないのがもどかしい。

 

私はどんなに笑われても気味悪がられてもいい。

愛するものを喪えば狂う、愛するものを守る為に鬼になる、

愛するから当たり前です。

相談女と罪悪感

治療を始めて3週間で愛犬は亡くなりました。

明らかに過程のなかで治療ミス、医療ミスがあったと思います。

正しい治療を受けていれば、愛犬の命が奪われることはなかった。

その責任や追及を獣医師と医療機関に求めようとは思っていません。

信じて疑わないことが、取り返しのつかない、

深い悲しみになるとは、なんて矛盾してるんだろう。

ただただ愛犬に生きていてほしかった。

病気を治そうと治療したのに死なせてしまったことが悔しいのです。

 

食べることが大好きだった愛犬は投薬をしてから食欲がなくなりました。

日に日に食べる量が減り、水がやっと飲めるか、最後は飲めなくなりました。

お腹もすいてただろうし、副作用で気持ち悪くて、

苦しかっただろうし、痛かっただろうと思います。

 

今、私はお腹も減るし、食事もしています。

でも、味はおいしいのに食事をすることに罪悪感を感じます。

愛犬は食べられなかったのに私が食べる自分を許せません。

 

愛犬は食べたかっただろうし、食べさせてあげたかった。

いくら仏前に供えても、食べさせてあげることが出来ない。

今日もチーズケーキを焼きました。

もちろんお供えしました。

食べさせてはいけない食べ物だけど、愛犬に食べさせてあげたかったです。

 

相談女が私に危害を加えようとして愛犬が犠牲になったのでしょうか。

私たち家族を守ろうと愛犬は身代わりになってくれたのでしょうか。

 

今年、大厄の旦那は厄払いもせず、厄の災いに巻き込まれ、

愛犬が犠牲になったのでしょうか。

 

愛犬は命を奪われるような悪事は何もしてません。

だから、そんな風に思えてきます。

 

悪事をした人間こそが命を奪われて当然なのに、

この不条理に理不尽さに腹が立ちます。

泣くと涙を流すと息苦しくて、胃と胸が痛くて泣くのが苦しくなります。

生きられた命、生きてほしかった命、喪失感で締め付けられます。

旦那と相談女は自分たちがした行為で、

私や家族が悲しみ、苦しみ、傷つけても、

罪悪感を感じないなんて、不実で酷悪な者に浴びせる言葉も見つかりません。