ー旦那が相談女に狙われた妻ブログー

旦那と相談女に謝罪と反省と償いをさせる遺書

相談女と罪悪感

治療を始めて3週間で愛犬は亡くなりました。

明らかに過程のなかで治療ミス、医療ミスがあったと思います。

正しい治療を受けていれば、愛犬の命が奪われることはなかった。

その責任や追及を獣医師と医療機関に求めようとは思っていません。

信じて疑わないことが、取り返しのつかない、

深い悲しみになるとは、なんて矛盾してるんだろう。

ただただ愛犬に生きていてほしかった。

病気を治そうと治療したのに死なせてしまったことが悔しいのです。

 

食べることが大好きだった愛犬は投薬をしてから食欲がなくなりました。

日に日に食べる量が減り、水がやっと飲めるか、最後は飲めなくなりました。

お腹もすいてただろうし、副作用で気持ち悪くて、

苦しかっただろうし、痛かっただろうと思います。

 

今、私はお腹も減るし、食事もしています。

でも、味はおいしいのに食事をすることに罪悪感を感じます。

愛犬は食べられなかったのに私が食べる自分を許せません。

 

愛犬は食べたかっただろうし、食べさせてあげたかった。

いくら仏前に供えても、食べさせてあげることが出来ない。

今日もチーズケーキを焼きました。

もちろんお供えしました。

食べさせてはいけない食べ物だけど、愛犬に食べさせてあげたかったです。

 

相談女が私に危害を加えようとして愛犬が犠牲になったのでしょうか。

私たち家族を守ろうと愛犬は身代わりになってくれたのでしょうか。

 

今年、大厄の旦那は厄払いもせず、厄の災いに巻き込まれ、

愛犬が犠牲になったのでしょうか。

 

愛犬は命を奪われるような悪事は何もしてません。

だから、そんな風に思えてきます。

 

悪事をした人間こそが命を奪われて当然なのに、

この不条理に理不尽さに腹が立ちます。

泣くと涙を流すと息苦しくて、胃と胸が痛くて泣くのが苦しくなります。

生きられた命、生きてほしかった命、喪失感で締め付けられます。

旦那と相談女は自分たちがした行為で、

私や家族が悲しみ、苦しみ、傷つけても、

罪悪感を感じないなんて、不実で酷悪な者に浴びせる言葉も見つかりません。