ー旦那が相談女に狙われた妻ブログー

旦那と相談女に謝罪と反省と償いをさせる遺書

相談女と費用

愛犬が亡くなった動物医療センターから請求書が届きました。

実費(保険外)なので人間より高いことはもちろんですが、

最期に受けた治療の静脈点滴は意外に費用が低価格で、

最初から医療センターで静脈点滴をしてもらっていれば、

命が助かったかもしれない、愛犬は生きていたかもしれない。

 

命に値段はありませんが、かかりつけの動物病院で受けた皮下点滴は、

医療センターの静脈点滴よりも高額でした。

愛犬の命を救うための治療だったはずなのに効果がないものでした。

もしかしたらその治療が愛犬の命を奪ってしまったかもしれない。

なんだかやるせない気持ちになりました。

 

どうして具合が悪くなった時、動物医療センターに連れていかなかったのか。

どうしても車が必要になるから、

旦那に頼らない方法と頭が働いてしまったと思います。

かかりつけの動物病院と医師を信じ、

愛犬が苦しんでいるのに助けられなかったのか。

あの日、あの時に賢明な判断をすべきだった瞬間が幾つもあります。

私は信じて疑わず旦那に裏切られたのに、

医師を信じて疑わずに裏切られた思いです。

 

私が私さえ正常な思考と健康な肉体であれば、

愛犬を喪うことはなかったかもしれません。

私を悲しませ、苦しませ、傷つけて心身ともに私を追い詰めた、

旦那と相談女は人間の屑でしょう。

旦那と相談女は痛くも痒くもないのだから、

何を訴えようと本人達は関係ないと思います。

謝罪と反省と償いをしないのだから、

せいぜい嘲笑されたらいいでしょう。

神仏も悪魔もいないのだから、誰も何も旦那と相談女を罰しない。

私一人じゃ力がないのがもどかしい。

 

私はどんなに笑われても気味悪がられてもいい。

愛するものを喪えば狂う、愛するものを守る為に鬼になる、

愛するから当たり前です。

相談女と罪悪感

治療を始めて3週間で愛犬は亡くなりました。

明らかに過程のなかで治療ミス、医療ミスがあったと思います。

正しい治療を受けていれば、愛犬の命が奪われることはなかった。

その責任や追及を獣医師と医療機関に求めようとは思っていません。

信じて疑わないことが、取り返しのつかない、

深い悲しみになるとは、なんて矛盾してるんだろう。

ただただ愛犬に生きていてほしかった。

病気を治そうと治療したのに死なせてしまったことが悔しいのです。

 

食べることが大好きだった愛犬は投薬をしてから食欲がなくなりました。

日に日に食べる量が減り、水がやっと飲めるか、最後は飲めなくなりました。

お腹もすいてただろうし、副作用で気持ち悪くて、

苦しかっただろうし、痛かっただろうと思います。

 

今、私はお腹も減るし、食事もしています。

でも、味はおいしいのに食事をすることに罪悪感を感じます。

愛犬は食べられなかったのに私が食べる自分を許せません。

 

愛犬は食べたかっただろうし、食べさせてあげたかった。

いくら仏前に供えても、食べさせてあげることが出来ない。

今日もチーズケーキを焼きました。

もちろんお供えしました。

食べさせてはいけない食べ物だけど、愛犬に食べさせてあげたかったです。

 

相談女が私に危害を加えようとして愛犬が犠牲になったのでしょうか。

私たち家族を守ろうと愛犬は身代わりになってくれたのでしょうか。

 

今年、大厄の旦那は厄払いもせず、厄の災いに巻き込まれ、

愛犬が犠牲になったのでしょうか。

 

愛犬は命を奪われるような悪事は何もしてません。

だから、そんな風に思えてきます。

 

悪事をした人間こそが命を奪われて当然なのに、

この不条理に理不尽さに腹が立ちます。

泣くと涙を流すと息苦しくて、胃と胸が痛くて泣くのが苦しくなります。

生きられた命、生きてほしかった命、喪失感で締め付けられます。

旦那と相談女は自分たちがした行為で、

私や家族が悲しみ、苦しみ、傷つけても、

罪悪感を感じないなんて、不実で酷悪な者に浴びせる言葉も見つかりません。

 

 

相談女と愛犬の生きた証

どこを歩いても、どこにいても、愛犬が蘇る。

一緒に散歩した道、一緒に遊んだ公園。

なんでもない、当たり前の日常が幸せだった。

もう一度、散歩したかった。もう一度、旅行したかった。

何もしなくてもいい、ただただ生きていてほしかった。

愛犬が居ること、生きてること。

愛犬がいない現実がつらくてたまりません。

 

愛犬がいつも寝ていた場所、ベッド、毛布、なせそこに愛犬がいない。

愛犬の声、撫でた温もり、匂い。

触れたい、抱きしめたい。

でも愛犬は骨壺にいます。

骨壺を撫でる度に愛犬が死んだ事実が胸に突き刺さる。

姿、形が見えなくても心の中で愛犬はもちろん生きている。

それでもやっぱり会いたい。

 

なぜ、愛犬の命が失われなければ、奪われてしまったのか。

本当に悔やんでも悔やみきれず、悲しさに加えて後悔と自責の念でいっぱいです。

 

私さえ元気でいれば、頭と心が壊れていなければ、

適切な処置を受けさせる判断と決断ができたはずです。

 

旦那と相談女が私的メールをしなければ、それにつきるのです。

 

私が愛犬の誕生日を忘れるほど、おかしくなっていた10月。

旦那の嘘と隠し事はパソコンで離婚の準備のための書類作成だそうです。

後悔しないために作業をしてるそうです。

 

もう笑って呆れるしかありません。

確かに離婚の準備は大事なことかもしれないけど、

後悔しないためにやることすることは他にあるはずです。

本末転倒とはまさにこのことだと思います。

くだらない、くだらない。

 

命と気持ち以上に何が大切なのか。

愛犬の写真を見たくても、悲しくて見られません。

愛犬が生きていた日付のものを見るのがしんどいです。

 

私は私が許せません。もちろん旦那と相談女は許せません。

旦那と相談女は自分が許せない心情心境になったことも、なることもないでしょう。

自分が一番、自分さえよければいい。心のある人間なら心が痛みます。

心が痛まない人間だから厚顔無恥で生きていられるのでしょう。

きっと旦那と相談女の大切なもの、必ずや失い奪われるでしょう。

 

愛犬との楽しかった思い出が、悲しみが深くて余計につらいです。

愛犬と過ごした時間、記憶は決して忘れません。

相談女と自責の念

愛犬に謝っても謝っても、私は自分が許せない。

愛犬が苦しんでたのに気づいてあげることが、助けてあげることが、

出来なかった自分が憎くてたまらない。

なぜ、あの時にあの日に他の病院や先生に診てもらおうと、

連れていこうと判断できなかったのか。

後悔、後悔、後悔。

 

愛犬はきっと私を恨んでもないし、許してくれるでしょう。

愛犬は優しく強い存在でした。

 

私は愛犬を家族ではない、愛犬のことは期待するなと言われて、

旦那に頼らないように気を遣っていました。

それがどこか頭にあって旦那に運転をお願いしなければならない

病院が頭に浮かびませんでした。

タクシーを使えばいい、その通りです。

それすら気がつかなかったのです。

旦那に頼らず、車に頼らず、それを優先してしまった。

 

私の頭も心も壊れ、正常な思考と判断、決断ができなかったせいで、

愛犬の命を奪ってしまった、死なせてしまった。

かかりつけの病院の医師の治療を信じて疑わなかったことが、

そもそも間違いだったのに気が付けなかった。

 

私は旦那のことを信じて疑わずにいたら、

相談女と私的メールをして嘘をつかれ隠された。

私が悲しみ、苦しみ、傷ついても、寄り添う気持ちがないと言われ、

裏切られたと言えば意味不明と言われる始末。

 

もう何も誰も信じることはできないような気がします。

信じて裏切られ、失うことばかりです。

 

もし旦那と相談女が私的メールしてなかったら、

私が病むことはなかったので、愛犬が同じ病気を発症しても、

適切な処置が受けられるような判断と決断ができたと思います。

 

旦那と相談女はどれだけ家族を悲しませ、苦しませ、傷つけるのでしょう。

命まで奪ってしまうなんて非道です。

旦那と相談女が自責の念にかられることなんてないのでしょう。

旦那と相談女の行為、旦那と相談女がどんな人間か知ってほしいです。

相談女と旦那の罪

愛犬が旅立って10日、涙しない日はありません。

愛犬と過ごした日々、愛犬との楽しい時間、愛犬に癒され、

愛犬との喜び、愛犬に感謝することばかりです。

 

それだけに後悔と悲しみが深いのです。

愛犬がクッシング症候群を発症して

適切な治療を受けさせてあげられなかったこと。

旦那と相談女が私的メールした2年前以降、私は精神的に不安定になり、

正常な思考と判断ができなかったこと。

旦那と相談女の行為によって悲しみ、苦しみ、傷つけられて、

愛犬への意識や関わりがおろそかになってしまったこと。

旦那と再構築を目指したために、旦那の意見に翻弄され、

愛犬との時間を一緒に過ごすことが減ってしまったこと。

全てが愛犬の死につながりました。

 

旦那と相談女は直接、愛犬を殺したわけではありませんが、

間接的に死に追いやった要因になりました。

旦那は愛犬を家族じゃない、期待するなと言って見殺しにしました。

娘を傷つけたのと同じです。

本人たちは言いがかり、とばっちりとでも言って、しらを切るでしょう。

 

当然、旦那と相談女は自分たちのせいじゃないと思ってるし、

心が痛んだり、罪悪感を感じることもないでしょう。

人非人だから何とも思わないでしょう。

人の気持ちがわからない人間が本当にいるんだと、

旦那と相談女に遭遇して感じました。

 

12月7日に送別会兼忘年会、12月12日にチームの忘年会があるそうです。

おそらく旦那はどちらも出席するのでしょう。

また飯田橋かしら。

 

私たち家族が涙してる時に酒を飲んで、

笑って楽しむ神経はたまったものではありません。

でも旦那は愛犬を家族でないと言ったように、

私たちのことも家族でないのでしょう。

せめて四十九日がすむまで喪に服し、飲酒と酒の席を控えることはできないのか。

 

旦那に家族でないと言われた愛犬は旦那を家族と思って受け入れました。

愛犬は旦那のことも家族だと思って接していました。

愛犬が不憫で可哀想すぎます。

相談女と後悔

11月18日、我が家の愛犬は旅立ちました。

前日、朝方に一度、排尿したきり、夜になっても排尿せず、

食べられず飲めずで夜間救急のある動物医療センターに行き、

集中治療入院の手続きをして預けましたが、

まもなくして愛犬の命は力尽きました。

最期は眠るように息を引き取ったそうです。

 

今は深い悲しみと後悔ばかりです。

どうしてもっと早く救命医療が行える病院に連れていかなかったのか。

どうしてもっと早く副作用が出た時に疑問を持たなかったのか。

どうしてもっと愛犬の変化に苦しみに気づいてあげられなかったのか。

どうしてもっと愛犬との時間を過ごさなかったのか。

 

私が調べた限りの情報はクッシング症候群は、

すぐに命をうばわれる病気ではないとありました。

適切な投薬治療をすれば、天寿を全うできる可能性がありました。

その安堵感と医師と治療を信頼したことが、

間違った選択と判断だったと思えて仕方ありません。

推測でしかありませんが、かかりつけの動物病院で、

病気の診断と症状の判断、投薬量と治療の選択を誤ったのではないか。

私たち飼い主は元気になると信じて疑わなかった治療が、

愛犬の命を奪ってしまったのではないか。

私たち飼い主が選択肢として獣医師と医療機関を、

検討決断していれば愛犬は生きていたのではないか。

悔やんでも悔やみきれない結果となりました。

愛犬はとても痛かっただろうし、苦しかったと思います。

私たちはその苦痛を和らげてあげることも、取り除くこともできなかった。

それでも力尽きるまで愛犬は頑張りました。

最期まで優しく強く、お利口な愛犬でした。

 

何より私が一番後悔しているのは旦那と相談女が私的メールした2年前以降、

私は旦那と相談女がした行為によって悲しみ、苦しみ、傷つけられて、

愛犬のことをがおろそかになって二の次にしてしまったことです。

人を裏切って意味不明と言う人非人、人を傷つけても謝罪すらしない人非人

そんな屑に気を取られ時間を取られ、病んでしまった自分が憎いです。

 

愛犬が息を取ったのは18日明け方4時前で、その日は娘の学芸会でした。

遺体を家に連れて帰り、泣きながら娘は学芸会に行くと自分で言いました。

学芸会で大きい声で歌い、上手に演じました。

仲の良いママ友さんもほめてくれました。

 

こうして文字にすることもつらいです。

涙があふれるばかりです。

遺体があるうちは愛犬に触れることができるけど、

そのままにしておきたくても、お別れしなければいけません。

まだ温かいうちは保冷剤で冷やすことも可哀想で置けませんでした。

悲しくてもやらなければいけない現実は変えられない、待ってはくれません。

ペット火葬してくれる寺を探し、翌日の火葬予約をしました。

一日だけ、お別れの時間がありました。

私と母が泣くと娘もこらえきれず、何度も泣いてしまいます。

愛犬へ手紙と一緒に撮った家族写真、ドッグフードとおやつ、

娘が愛犬のために選んでくれた洋服、お花を棺に入れました。

 

火葬した日に幼稚園からのママ友さんから、メールをもらいました。

娘は友達に愛犬が亡くなったことを話したそうです。

亡くなった当日、学芸会本番の日に娘は愛犬の死を悲しみを乗り越えようと、

その小さな体でとても大きな心と強さを持っていました。

だから大人の私たちが娘の頑張りの邪魔をしてはいけないと思いました。

悲しみのなかで娘は笑顔を見せてくれ、私たちは救われています。

だから娘の前で泣かないと決めました。

 

愛犬を家族ではない、期待するなといった旦那は、

夜間救急の病院へ車で迎えにきました。

愛犬が亡くなり、遺体を迎えに行った時も旦那は車を出しました。

 

夜間救急の病院へ無線配車タクシーを呼んで行きましたが、

最悪な運転手で二度と美しい鈴の名がつくタクシー会社は利用したくありません。

具合が悪くて動物病院に連れて行くのに失礼で不快、

思いやりのない、心無い態度の運転手で憤慨しました。

 

愛犬が亡くなっても旦那は涙することも、遺体を撫でることもありませんでした。

火葬場で火葬業者さんに促されて、ようやく触れたと思います。

私たち家族の思いと反するような扱いを、

指摘する怒りも失われるほど悲しみにくれています。

 

新聞やレシート、様々な日付を見るたびに

愛犬が生きていたあの日に戻れたら、せめてあの時に戻れたら、

もっと一緒に過ごしたかったし、適切な処置をしていればと、無念でいっぱいです。

 

 

旦那と相談女が私的メールをしていなかったら、

たぶん私は健康で正常な思考を保てていたと思います。

愛犬の病気が健康診断でわかった10月、私の頭は明らかに異常でした。

2年前から異常だったと思いますが、完全におかしくなっていました。

だから余計に悔しいのです。だから余計に悲しいのです。

私がしっかりしていれば、愛犬をこんなに早く

死なせることはなかったかもしれません。

愛犬を寿命で失っても悲しみは同じですが、後悔することが多すぎるのです。

 

愛犬の命を奪った、神様も仏様もいない。

悪魔がいるなら魂を売りたい。

屑の命を奪って代わりに愛犬に命を与えたい。

そんなことを言ったら願ったら、愛犬が悲しみます。

屑のせいで犠牲になるのは許せないです。

 

愛犬は大切な大事な家族です。

私たちを癒し、楽しみ、喜び、たくさんの幸せを与えてくれました。

一緒にいられて心から感謝してます。

恩返しできないまま、愛犬は逝ってしまいました。

手を煩わせることもなく、迷惑をかけることもなく、気を遣ってくれて、

人間以上に尊く慈悲に溢れた存在でした。

愛して愛してやまない家族の死は受け入れがたいです。

 

怒りを感じる複雑な心境もありますが、それすら失せる深い悲しみでいっぱいです。

愛犬にありがとうとごめんなさいと、私の命ある限り伝え愛し続けます。

 

神様が仏様が悪魔がいてもいなくても、

自分のした振る舞いは必ず旦那と相談女自身に返るでしょう。

それを見届ける余裕がありませんし、

もう信じて裏切られるのは耐えられません。

 

 

相談女と命懸けの闘い

旦那は愛犬が重篤な状態にも関わらず、懇親会に行きました。

愛犬はクッシング症候群を患い、治療を始めたばかりです。

投薬を一週間ほど続けましたが副作用が強く、

全身の震え、吐き気、嘔吐、下痢で一週間ほどで1㎏以上痩せました。

人間で言えば10㎏に相当するのではという私の感覚です。

すでに13歳を過ぎてシニア犬になり、体力も落ちているなか、

副作用と病気と両方と闘っています。

 

懇親会のある前日、愛犬は嘔吐と吐き気、下痢が夜中じゅう続きました。

懇親会のある当日、朝一でかかりつけの動物病院に連れて行き、

点滴治療をして吐き気止めと下痢止めの注射をしてもらいました。

なんとか息をして横たわっているのが精一杯の状態でした。

 

現在もうつらうつらして横になっている状態に変わりはありません。

何日かに一度、病院で点滴治療をして栄養をかろうじて補給しています。

食欲もなく、なんとか水だけ飲むのがやっとです。

トイレをしようと歩けば足がふらつき、トイレをするにも足が震え、

踏ん張る力が入らず、排泄するのが苦痛と困難です。

トイレに行こうと歩きだして、コロンと倒れこむこともありました。

 

そんな愛犬の状態を状況をメールで伝えても懇親会当日、

旦那は一切無視でメールの返信がありませんでした。

下手に返信をしたら懇親会に行けなくなるとでも思ったのでしょう。

なんと心が貧しい、心無いことでしょう。

 

旦那は家族が苦しんでいる中、懇親会に行きました。

飲酒をしたかどうかは呆れてもう聞いてません。

飲酒をしていたなら人非人の証でしょう。

 

旦那にとって愛犬は家族ではないと言われています。

愛犬のことに関しては期待するなと言われています。

確かにペットを家畜扱いする人もいるでしょうし、

世の中のペットがすべて家族扱いされてはいないでしょう。

そういう考えがあることは理解していますが、

7年一緒に住んでいるペットを家族ではないと言う人間性

だからこそ家族を妻を娘を傷つけても、裏切っても意味不明と言えるのでしょう。

 

愛犬の命懸けの闘いはまだまだ続きます。

愛犬は必死に生きようと頑張ってくれています。

 

2年前に愛犬がヘルニアの手術をした時、私が顔面丹毒で入院した時、

家族が苦しみ、病と命懸けで闘っている中で、

旦那は相談女由KRと私的メールを楽しみ、関係を続けていました。

これを裏切りと言わずになんという言葉があるのでしょうか。

息抜きか現実逃避か。

どちらにしたって自分のことしかないし、家族のことを思いやっていない。

 

己の欲望の為に不適切な行動した愚かで身勝手な旦那と相談女由KRのせいで、

私たち家族は今もなお苦しみ傷つけられていること絶対に許しません。

自覚しなさい、自重しなさい、自戒しなさい。

その罪と責任から逃げださず、向き合いなさい。

 

世間の皆様も旦那と相談女由KRを許さないでください。

どうか私に力を貸してください。

心からお願い申し上げます。

 

私は愛犬と家族とともに命と必死に闘っている今、

命を軽んずる人間を決して許しません。