ー旦那が相談女に狙われた妻ブログー

旦那と相談女に謝罪と反省と償いをさせる遺書

相談女と私的メール

再構築しようと頑張ってる毎日を過ごし、2015年8月26日。

娘が寝てからhuluで映画を見ようと、二人の時間を何年かぶりに過ごしました。

 

そこで私はずっと渦巻いてた疑いについて問いただしました。

「携帯を見せて」と旦那に言いました。

旦那は迷うような仕草をしながらも見せてくれました。

 

後輩の相談女とのメールもありました。

当たり障りのない文章のものが何通かだけでした。

 

当時、使っていた旦那の携帯は送信ランキング、

受信ランキングというものがありました。

それを見ると送信ランキング、受信ランキングとも、

相談女は私の次に入る順位でした。

数通しかないメールのはずなのにランキング上位は矛盾している。

 ー不自然でおかしい

 

旦那が送った相談女とのメールと返信を照合すると、

なんだか話の内容が一致していない。

 

そこで私はもう一度、旦那に尋ねました。

そしてようやく旦那は相談女とのメールを削除したこと、

私的メールをしたことを認めました。

 

相談女との疑い

私の記憶が定かでない部分もあると思いますが、

可能な限り毎晩、娘が寝てから話し合いをしたと思います。

 

旦那から再度、

「不倫の事実はありません。隠し事もウソもありません。

家族を悲しませることはしないと約束します」と、

メールをもらいました。

私のお守り代わりの文章、言葉でした。

 

それでも私の中で何かがあると感じたのです。

なぜなら2015年8月9日以降、今までテーブルに置きっぱなしにしていた携帯を、

テーブルに置かなくなっていました。

そしてまた8月15日以降、テーブルに置くようになりました。

たぶんこの間に相談女とのメールを削除していようです。

 

私たちは今までの夫婦の関係を改めて、再構築をしようと話し合いをしても、

どうしても疑いが渦巻いていました。

心配なのは相談女ではなく、旦那自身の立場

2015年8月7日に退院後の診察があり、無事に完治しました。

完治したことを受けて、私は入院以前から不倫、浮気の疑い、

考え悩んだことを旦那に伝えました。

 

「入院中、退院後も家庭に協力してもらい、ありがとうございました。

義務感だったのかもしれませんが、ありがたかったです。

入院前、私は精神的にも肉体的にも限界でした。

どちらかというと、精神が肉体を追い詰めたのかもしれません。

それほど苦しんでました。

こないだ少し話をしましたが、もう苦しむのは耐えられません。

こうなった原因や衝突する問題を一つ一つ話し合って、

解決しなければと思いますが、今そうする気力も体力もありません。

蒸し返せば、また苦しみの中に追い込まれてしまいそうです。

このままでは娘の為にならないと思うので、お互いに譲れること、

価値観の違いはあるにしても、擦り合わせて妥協点を

見つけていければと思っています。

少しでも家庭が平和になり、毎日を暮らしたいです。

私が一人そう思ってもなし得ないことなので、

あなたがその前に資産や財産分与とか、

家庭以外に安らげる相手や場所を求めたいという考えがあったならば、

私は生き地獄として、諦めるしかないのかもしれません。

病んで病んで病むしかありません。

今はその覚悟を持ち合わせるだけの精神力がありません。

できれば仲のよい夫婦になりたい、それが無理でも仲の良い家族でありたい。

そう願っています。

信頼関係が崩れている状態で難しいことだし、時間もかかるだろう、

困難なこともあるだろうけど、いつかそうなれたらと私の妄想なのかもしれません。

一方的ですが、私はそう思ってます。」

こう、私は自分の気持ちのすべてをメールで送りました。

 

これに対し、旦那がどう返事したのかはっきりと覚えていません。

「信頼を得られるようにがんばります。

家族の幸せと、自分の幸せが両立ができればと思います。」

このような返信もあり、再構築をしようと頑張りました。

 

この時に限らずですが私は結婚生活の大半の記憶がほぼありません。

今ではモラハラDV夫になった旦那からは都合のいい話だと言われますが、

本当に記憶が途切れ、途切れにしかないのです。

楽しかった思い出も嬉しかった思い出も記憶にないのです。

幸せだった時間もあったのに、不仲になった原因や事柄もあったのですが、

きっと辛すぎて自分の記憶を消してしまったのだと思います。

 

翌8月8日に不倫、浮気について旦那に問いただしました。

そして娘の入学祝、グアム土産をくれた後輩が誰なのか、

その女性との関係を尋ねました。

 

やはりその後輩女性は私が直感した『由KR』という人でした。


2015年の春から同じプロジェクトチームで担当することになり、

仕事上の関係でしか連絡したことがないと旦那は答えました。

もう一度、浮かれていた時の行動についても説明を受け、

その後輩については関係ないと説明をされました。

 

旦那からは不倫も浮気の事実もない、

嘘も隠し事もないと言われました。

 ーそれが嘘

 

まだ私的メールをしていることは知りませんでした。

ただ、信じたいけど何かがあるという疑いは晴れませんでした。

 

そこでだったと思いますが、私は入学祝と土産のお礼に

カードをつけたことを旦那に伝えました。

その時の旦那のすごく気まずい、心配した顔、一生忘れません。

旦那に「誰を心配したの?」と聞くと、両方(私と相談女)と言われました。

 

旦那は相談女を庇うつもりはないと言ってましたが、

本音は相談女に顔合わせるのが気まずいと自分自身の立場を心配したのでしょう。

それが私を傷つけると旦那はわかっていません。

 

相談女と直感した女の勘

2015年7月30日に退院した私はしばらく抗生剤の服用が必要でした。

まだ旦那の連休は何日か残っていました。

私の入院で旦那の10連休を前倒ししてしまったこともあり、

連休明けに会社に持っていく、お詫びとお礼の菓子を買いに行きました。

 

有名なようかんと最中のお店で、

この時に何個買う必要があるか尋ねた時に、

旦那が会社の人の名前を言いながら人数を数えていました。

旦那が呟くように言った『由KR』という名前になぜだかピンときました。

本当に不思議なことですが、『由KR』が相談女だと直感しました。

 ー女の勘は当たる

 

前日に旦那が車の点検に出かけました。

後からわかったことですがこの点検中、一人になった旦那は、

相談女にメールしたそうです。返信も来たらしいです。

もちろん土曜の休日、仕事に一切関係ない私的メールです。

仕事の延長線上と言い訳のしようがない行動です。

それは私が嫌がることです。

 

ピンときた私は意を決して、8月3日の夜に旦那に話し合いを切り出しました。

「現在の状況から脱して家庭改善をしたい、このままではいけない」

 

旦那も同意し、お互いの意思を確認しました。

ただ、旦那の意思と私の意思では大きく差があったのです。

 

入院生活

入院を想定してなかった私は結局、5泊6日の入院生活となりました。

本当はもう1日入院する予定でしたが、1日でも早く家族の元へ、

娘の元へと帰りたかったのです。

娘にとって小学校生活初めての夏休みにママが入院してしまい、

心細かっただろうし、可哀想な思いをさせてしまいました。

夏休みの学校プールの時期とも重なり、準備やお世話は私の母にお願いし、

仲良くしてくれているお友達のママにも事情を伝えてフォローしてもらい、

無事にプールもきちんと行ってくれました。

 

きっと不安や心細かったはずなのに、微塵も見せずにプールに行く娘の後姿は、

頑張っている様子で思わず涙ぐんだと、お友達のママが言ってくれました。

私もその話を聞いて泣いてしまいました。娘はとても頑張りました。

お友達のママは親しくなったばかりなのに感謝することばかりです。

 

旦那は次の週から10連休を取得する予定でした。

旦那の勤める会社では年度内に土日を含めた10連休と5連休を

取得することになっています。

緊急入院してしまった為に休暇の前倒しをしてもらうことにしました。

 

同じプロジェクトチームだった相談女に休暇の前倒しを連絡したら、

「お大事に」の一言もなかったそうです。

 

他の同僚や上司、先輩達は私を心配する言葉を何かしらかけてくれたそうです。

私を心配する筋合いは相談女にないし、求めてるわけではありませんが、

具合が悪いと聞いたら、家族が入院するって一大事に、

「お大事に」という言葉は出てこないのでしょうか。

社交辞令でも言えないってところが、すごいと驚愕しました。

私は出会ったことがない、ご縁のないタイプです。

旦那はそれをなんとも感じないようです。

相談女は常識と配慮がないのが特徴の一つです。

 

私は点滴の毎日、1日に何本打たれたのでしょう。

入院中どこに行くのもベッドにいても繋がれてる点滴棒が私の相棒でした。

入院してからも私の左半面の顔は赤く腫れあがり、

次第に目と鼻の境、鼻と頬の境が無くなりました。

腫れのせいで左目はほとんど開かなくなりました。

高熱もすぐには下がりませんでした。

アイスノンを借りて冷やしてるのが自分に出来ることでした。

 

何日目だったか、ようやくシャワーの許可が出た時は生きた心地がしました。

毎日、娘と私の母、旦那もお見舞いに来てくれました。

娘につらい思いをさせてしまいました。

 

 

 

 

緊急入院

翌朝土曜の2015年7月25日、左半面の顔が腫れあがり、

左耳の痛みと熱が下がらない私は耳鼻科に行こうと思いました。

 

フラフラの私を見ながらも、旦那は自分から

「病院へ連れていこう」とは言わなかったと思います。

同居してる私の母に促され、しぶしぶ車を出してくれました。

 

土曜の耳鼻科は結構な混雑で、椅子に座っているのがつらい私は、

車の中で横になりながら順番を待つことにしました。

 

7月の真夏の暑い車内のはずなのに、私は寒気がして冷房を切り、

冬物のジャケットを羽織っても寒くて震えるぐらいでした。

1時間以上待って、ようやく私の順番が来ました。

呼吸をしてるのがやっとな状態でしたが、

旦那は手を貸すことを自分からしなかったと思います。

駐車場から耳鼻科までの距離がとても遠く感じました。

 

診察の結果、丹毒という病気の疑いがあり、

処置が遅れると重篤になる可能性があるので、

大学病院を紹介すると言われました。

 

その足で近くの大学病院に行き、診察を待ちました。

体がしんどいだけに待ち時間がとても長く感じました。

この時すでに40度近い高熱が出て、意識朦朧で車いすを借りました。

診察の結果、『顔面丹毒』という病気でこのまま即入院と言われました。

 

丹毒は免疫力が低下してる時に起こりやすく、

私は食事も食べられない状態が続き、風邪症状もあったので、

丹毒を発症したのだと思います。

原因は旦那の不倫疑惑で思い悩んだこと。

まだこの時は後輩が相談女で、私的メールをしてることは知りません。

 

health.goo.ne.jp

 

娘が夏休みに入ったばっかりで入院することを迷いましたが、

どうにもこのままでは体がもたないと入院することにしました。

 

相談女と飲んだ翌日

旦那と相談女が二人きりで飲みに行った翌日の2015年7月24日、

私は娘のお友達とそのママを自宅に招いて遊びました。

この日も体調がよくなかったのですが、娘がとても楽しみにしてました。

私も娘に仲のよいお友達ができ、お友達のママとも仲良くできて嬉しかったです。

 

話をしている途中に顔が熱くなり、左耳から頬にかけて痛みを感じました。

数日前から左耳から耳だれがあったので、耳の中を傷つけてしまい、

痛みがでたんだろうと思っていました。

 

その日は近所の神社で夏祭りがありました。

いったん娘のお友達は帰宅してから、夜に夏祭りに行く約束をしました。

 

娘のお友達とママが帰ったあと、熱をはかると38度後半の高熱。

鏡を見ると左頬が赤く腫れていました。

娘が楽しみにしているからと、鎮痛剤を飲んでまた出かけました。

 

夏祭りの時に暑さはもちろんですが、尋常じゃないくらい体が熱く大量の汗が出て、

高熱が出ていたんだと思います。

でも私はちょっと無理しちゃったなぐらいの感覚でした。

それは私の限界が近づいてたサインだったのです。

 

私の体調が悪いこと、私が不倫を疑って思い悩んで苦しんでることを、

旦那は知っても知らなくても私に対して心配も興味もなかったのでしょう。